ねこのひとりごと

猫と彼との1匹と2人暮らし。日々の暮らしで思ったことを、ただ綴るブログです。

他人の人生を通して、自分の人生を愛する。

 

こんにちは。

 

曇りの日。

 

目が覚めるような

朝のぱりっとした空気が

好きです。

 

深呼吸をして、新しい空気を

身体の中に取り込むと、

自分まで綺麗になったような

気がしてきます。

 

こんな日は、

愛猫が布団を独り占め。

 

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してやったり、と言わんばかりのドヤ顔。に見えます(笑)

 

 

今日書きたいのは、

昨日読んだ本の感想です。

 

ある男(平野啓一郎・著)。

 

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死亡したことをきっかけに、

夫が実は別人だったことが

判明します。

 

彼は本当は誰だったのか?

彼はなぜ、

自分の人生を捨てたのか?

 

戸籍の売り買いを繰り返す者

たちの人間ドラマでもあり、

心の謎を解くミステリーでもあります。

 

 

まず、私の心に刺さったのは、

他人の人生を生きることで

自分の人生に向き合える、

自分を愛せる、ということです。

 

他人の人生を通じて、間接的になら、

自分の人生に触れられるんだ。

考えなきゃいけないことも考えられる。

でも、直接は無理なんだよ。体が拒否してしまう。

 

自分のことだからこそ、

怖くて目を背けてしまう。

 

そういうところは、

私にもあるなと共感しました。

 

他人のことだと思えば

感情にのまれずに冷静に、

考えられたりするのだと

いう気がします。

 

他人を通して自分と向き合うってことが大事

なんじゃないですかね。他者の傷の物語に、

これこそ自分だ!って感動することでしか

慰められない孤独もありますよ。

 

まさにこの表現に納得しました。

 

私が小説を読む理由、

好きな理由がここにある

と思ったからです。

 

他者の傷の物語と自分の傷

を重ね合わせて共感することで

自分の傷を癒しているのかも

しれません。

 

孤独・・・ですね。

 

 

どこかに、俺ならもっとうまく生きることの出来る、

今にも手放されそうになっている人生があるだろうか?

もし今、この俺の人生を誰かに譲り渡したとするなら、

その男は、俺よりもうまくこの続きを生きていくだろうか?

 

自分じゃない、誰かの人生。

 

考えてみたら、私は、

自分の人生のことを生きづらい

と思ったことは何度もあります。

 

けれど、

誰か別の人の人生と変わりたい

と思ったことは1度もない

ような気がします。

 

もしかして、それは、

私がとても恵まれた環境にいる

ということなのかもしれません。

 

私が周りにいる人たちに

支えられているということ

なのかもしれません。

 

そして自分でもそのことに

気がついている。

 

私が抱える生きづらさは

環境のせいではなく、

自分の考え方や性格のせい

だからだと思います。

 

 

そして、最後の結びとして。

 

一瞬毎に赤の他人として、この人生を誰かから譲り受けた

かのように新しく生きていけるとしたら。

 

この続きには、きっと、

こう続くと私は思います。

 

「どれほど感動し、幸福に感じ、

この人生を大切に、

より良いものにしようとして

生きられるはずだ」、と。

 

つまりは、

他人から譲り受けたもののように

自分の人生を優しく、大切に生きよ。

 

と、この小説は教えてくれている

ような気がしました。

 

人は他人に対するより、

自分に対しては厳しく

なりがちです。

 

他人の人生だと思ってはじめて、

自分の人生に寄り添えたり、

ちょっと優しくなれたりする

のかもしれないなと思ったりします。

 

 

 

平野さんの本はあまり

読んだことがなかったのですが、

村上春樹さんや白石一文さんに

どこか似ているような。

 

哲学めいたような。

どこか諦観しているような。

そんな文章の雰囲気が

好きだなと思いました。

 

最近だと、映画にもなった

「マチネの終わりに」が

有名みたいですね。

 

 

 

最後まで読んでくださって、

ありがとうございます。