こんにちは。
昨日も今日も、3月のように暖かくて
(もう来週から3月だから当たり前か・・・)
そろそろ冬服をしまい始めようかな
と考えています。
昨日は1日中、
ドラマを見ながら、本を読みながら、
だらだらと暴飲暴食・・・
ひどい生活をしてしまい。
自由に欲が満たせて良かったなと思う自分と、
弱さに負けてしまったことに落ち込む自分がいます。
できた日の自分には〇をつけ、
できなかった日の自分には×をつける。
そして、できた日の自分だけが本当の自分だと、
×をつけた日は本当の自分じゃないんだと、
思いたい自分がいました。
最近は少しずつ、×の日の自分も、
受け容れようと思っています。
できなかった日もダメじゃない。
×の日の私も隠さない。
できた日も、できなかった日も、
どちらも自分なのだと。
そもそもいつからこんなふうに、
テストで〇×をつけるみたいに
自分を採点するようになってしまったのでしょうか。
もうずっと昔、
中学生くらいからのような気がします。
自分で自分に〇×をつけて採点する人生は
生きてて苦しいです。
だから本当は、
できた日も、できなかった日も、
今日1日を生きた自分に、
どちらも〇をつけるようになりたいのかもしれません。
〇か×かなんて、
気にしないように、ジャッジしないように、
なりたいのかもしれません。
愛猫にならどんなときも〇をつけられるのに、自分のことになるとできないのはどうしてだろう。
掃除や片づけができた日も、できなかった日も。
楽しくて笑った日も、
落ち込んでネガティブ思考になった日も。
食べ過ぎたり飲み過ぎたりした日も。
ぜんぶ、私で、
ぜんぶ、〇にしたいです。
×の自分も、受け容れる。
×の自分にも、〇をつける。
〇でも×でも、気にしない。
そんなふうに生きていけたら、
自分のことをちょっと好きになれそうな、
楽になれそうな気がします。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。