こんにちは。ミニマリストねこです。
先日はわからないことをわからないままにブログに書いてみたら、思いのほか反響をいただけて嬉しいです。書いて良かったなと思いました。読んでくださった方、ありがとうございます。
私は物事を曖昧なままにしておくことが苦手というか、すぐに白黒つけて答えを出してしまいたいようなところがあります。
わからないことをわからないままにしておくのが中途半端で気持ちが悪いというか、せっかち、結果をすぐに求めがちなのかもしれません。
ですが先日のブログを書いてみて、わからないときはわからないままでいいんだな、わからないままにしておいた方がいいんだなと思いました。
はっきりこうだって1つの答えに決めてしまえば、もう悩まなくて済みます。
なので悩むのが嫌は私は、納得する答えが出るまで考えずに、安易な答えに飛びついてしまうことが多かったような気がします。
ですがそうやってよく考えもせずにわかったつもりになってしまうことで、考えたり疑ったりすることがなくなってしまう。思考停止した状態になってしまっていた気がします。
考えることをやめてしまうことで、自分に本当にしっくりくる答えに辿り着くチャンスを逃してしまうことにもなっていたのかもしれないなと思いました。
人生には簡単に答えが出せないような、難しいことやわからないことが多すぎる気がします。答えも状況や時代、人によって変わるもので、唯一絶対の答えがあることの方が少ない。
そんな中で簡単に答えを1つに決めてしまうことは、思い込みや刷り込みのもとになるんじゃないかなと思ったりします。自分は理解している、答えをわかっていると思うことから、思い込みは生まれるのではないかなと。
そう思うのはきっと私が長い間、学校や世間、親がいうことを何の疑問も持たずに鵜呑みにして、自分の頭で考えずに過ごしてきたことを後悔しているからです。
今日も窓際で日向ぼっこ。日が陰って寒くなってくると、いつの間にかお布団に移動してる(笑)
難しいことは何も知らない愛猫だけど、本当に大切なことはわかっているような気がする。
いろんなことの答えを1つに決めつけずに、わからないままにしておく。
無理に答えを出すんじゃなくて、「わからない」のカテゴリーに入れておくみたいな。入れておいてときどき思い出して考えてみたり、アンテナを張っておいて答えを探したり。
それは自分にぴったりくる答えを見つけるために必要なことなんじゃないかなって思います。
私がブログを書くときに「~かもしれない」とか「~な気がする」というような、ぼやかした表現が多くなっているのも、わかっているつもりになりたくない、これが答えだと決めつけたくないというような気持ちがあるような気がします。
いつでも「わからない」というスタンスでいたいんだと思います。自分を思考停止させてしまわないために、わからないという曖昧さが必要なのかもしれません。
自分にとってしっくりくる答えを見つけられるように、それまで考えることをやめてしまわないように、わからないことはわからないままにしておきたいなって思います。
もしかして答えは出ても出なくてもどっちでも良くて、「おまけ」みたいなものなのかもしれません。
答えを出そうとあれこれ考えたり、その過程でいろんな考え方があることを知ることが、大切なことなのかもしれませんね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。