こんにちは。ミニマリストねこです。
ときどき20代の頃のことを思い出すことがあります。
20代といえば若さや希望に満ち溢れてキラキラしているイメージですが、私の20代はそんなキラキラとは無縁の生活でした。
1人で社会で生きる・働くということを考え始めて、ちっぽけな自分に対して社会が巨大な台風やブラックホールのように感じて怖かった。
自分は何がしたいのか、自分が社会に対してできることがあるのか、未来が見えずに悩んだ。あの頃の自分には絶望しかありませんでした。
私にとって人生はスポットライトが降り注ぐ舞台ではなくて、暗闇の中を歩くようなものだったんです。未来に何が起こるかわからない、先が見えない。そのことが私には暗闇のように感じられたんですよね。
30歳も後半になった今。20代の頃、手にしていた若さも時間も選択肢もなくなったけれど、あの頃よりは少し生きやすくなったなと感じています。今の私は昔ほど、人生に絶望はしていません。
人生は暗闇の中を歩くようなもの。
その考えは今も同じです。誰にもわからない未来に向かって歩いていくことに変わりはないと思うから。
それでも少しだけ生きていくことに希望が持てたのは、今は暗闇を照らす小さな明かりが、自分の中にあるような気がするからです。
多数派の人が通る大通りの街灯のように明るくはないけど、自分の内側にあって自分で未来を照らす明かり。
20代の頃の私に必要だったのはこの明かりだったのだと、今になって感じます。
たくさんしてきた失敗や後悔が経験となって自分をつくってくれているからかもしれないし、愛猫がいてくれるからかもしれない。
失敗ばかりの人生の中でも必死に生きようとして、手にしてきたものたちが小さな明かりとなってくれているのかもしれません。
自分は何が好きか、どう生きたいか。自分がどういう考え方や性格を持った人間か知ることで、これからより大きく確かな明かりになっていくんじゃないかなと思います。
大通りを歩くペースに合わせられずに脇道に逸れてしまった私には、街灯を探すことじゃなくて、小さくてもいいから自分で自分を照らすことが必要だったんじゃないかなという気がします。
今私が持つ明かりはまだ線香花火のように小さくて脆い光かもしれません。その光をどんどん大きく育てていけたらなと思います。
今日も物や片づけとは違う話になってしまいました。
私は生きづらさから抜け出したくてミニマリストになったので、どうしても物の話ではなくて生きづらさの中で感じたこと考えたことが書きたくなってしまいます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。