ミニマリストねこの暮らし

1匹と2人で暮らすミニマリスト。物がない部屋、猫と読書の日々。

普通に生きるを目指すことは幸せなのか。「廃墟の白墨」を読んで。

 

こんにちは。ミニマリストねこです。

 

普通にできたら、どうしてみんなと同じようにできないんだろう・・・ずっとそう思ってきたし、今も思うことがあります。

 

先日読んだ「廃墟の白墨」(遠田潤子・著)は普通とは言えない環境に生まれたからこそ、普通に生きたいと願った人たちの物語のように感じました。

 

普通に生きれないことに悩んできた私は本を読んで、普通に生きること、普通にこだわることは幸せなのだろうか?と考えずにはいられませんでした。

 

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最近はまっている遠田潤子さんの本です。

 

主人公・ミモザの父宛てに届いた1通の手紙。ミモザが手紙に導かれて行った廃墟ビルで3人の老人たちによって、明石と白墨という母娘との生活、そして彼らが現在も背負う事件が明らかになっていくというストーリーです。

 

明石の父親は明石をビルに縛りつけるし、狂った父親に育てられた明石は恋愛に溺れ、育児を放棄。

白墨の母親の明石も明石の父親も、明石ビルでの生活も全部「普通」ではないんですよね。みんな心のどこかが壊れてしまっている。

 

そんな普通じゃない環境に生まれたからこそ、ビルの住人である老人たちは白墨に普通に育って欲しいと願う。

罪を背負わされた白墨も自分が普通に生きられないからこそ、息子に普通に生きて欲しいと切望する。 どこまでいっても「普通」に生きることにこだわるんですよね。

 

 

 

私はこの普通という言葉が好きではないです。私はいわゆる普通の家庭に生まれ、育ったと思います。(母子家庭ではありますが。)

 

でもそうやって普通に育った私は友達も作れなかったし、正社員でも働けなかった、もう36歳にもなるのに結婚もしていないし子供も欲しいと思えません。普通ができない大人になりました。

 

白墨が思う普通とは意味が違うとしても、「普通」は私にとっては自分よりずっとずっとすごいことです。

 

どうして自分は普通にできないんだろうって落ち込んだこともありましたが、もう今は普通を目指すことをやめました。私は私らしく生きようって思っています。

 

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愛猫は普通が何かなんて考えてない。ただ自分に正直に、あるがままに生きてる。

 

今は普通を目指そうとしてしまうことに、生きづらさが生まれてしまうんじゃないかなと思っています。私がそうであったように。

 

人はみんな違うのだから同じ生き方をしなくていいし、できないのに合わせようとしなくてもいいと思うんですよね。

 

そんなふうに普通じゃなくていい、自分のままでいいと思えるのは、ある意味、人として普通の環境で育ってきたからなのかもしれませんね。

この考えもこの先、生き続けていったらまた変わることがあるのかもしれません。

 

 

 

遠田潤子さんは過去や罪や家族に縛られて生きる人を描くのが本当に上手です。

 

遠田さんの物語に出てくる登場人物は過去や罪や家族から逃げようとするんじゃなくて、自ら背負おうとするんですよね。

必要以上に背負ったまま、苦しみながら生きていこうとする。その姿に魅かれるものがあるのかもしれません。

 

でもやっぱり私は白墨やミモザ・ビルの住人たちに、普通にも過去にも家族にもこだわらずに、自分の人生を生きて欲しかったです。

普通じゃなくていい、白墨とミモザの幸せを望んでしまう私がいます。

 

そうは言っても生きることはそんなに単純ではなく、簡単に割り切りたくない、割り切れないままに生きていく人たちの苦悩や悲しみを描いてくれるところに、小説の価値があるのかもしれません。

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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