ミニマリストねこの暮らし

1匹と2人で暮らすミニマリスト。物がない部屋、猫と読書の日々。

人生には選べないことがずっと多い。2冊の本からのメッセージ。

 

こんにちは。ミニマリストねこです。

 

最近面白いことがありました。

 

著者も違う2冊の別々の小説に同じような内容が書かれていたんです。

 

今までにこんなことはなかったので、自分でも驚きました。(私が気づかなかっただけなのかもしれませんが。)

 

何かのメッセージ、今の私に大切な言葉なんじゃないかと考えずにはいられませんでした。

 

 

まず最近、「廃墟の白墨」(遠田潤子・著)という本を読んでいたときに目にした文章から。(本についてはまた今度書けたらなと思います。)

 

どうすべきだったのか、と考えても無意味や。この歳になってわかる。人生には選択肢などない。選択肢があったと思い込んで、自分を慰めたいだけや

 

かなりおおざっぱなストーリーとしては、1人の少女とその少女と関わる人達の人生を大きく変えてしまった過去のある事件について、明らかにしていくというミステリーです。

 

このセリフは過去の事件をずっと背負って生きた事件の当事者が、当時を振り返って言う言葉です。こうも書かれています。

 

そのとき、そのときの決断が最善だと信じていたわけでもない。自分たちが間違っていると知りながらも、それしか選べなかった

 

こう聞くと、自分が変わる努力をしないことの言い訳や逃げになってしまっていないか?という疑問もわくのですが・・・

そう言い切ってしまうには厳しすぎると私は感じました。(彼らと同じように、私も楽な方へ流されてしまう弱い人間なので。)

 

 

実はこれと似たようなメッセージを、私は数日前にも目にしていたんです。先日ブログにも書いた「坂の途中の家」(角田光代・著)の解説部分です。

 

本書には、人は自分で選んでいるつもりでも、選ばされているのではないかというテーマが根底にある。

 

この本は親の価値観の呪縛から逃れたくても逃れられずに苦しむ子育て中の女性が主人公として描かれていました。

 

その女性が現在置かれている状況は本人が選んだものではなく、親に植え付けられた価値観や対人関係の癖などによって選ばされてきた結果なのだということを、解説では表現されているんだと思います。

 

 

こんなふうに、たったこの1週間のうちに「人生に選択肢はない」というメッセージを2度も目にするとは。

 

私は今までいろんな物やことを、私自身が選んできたのだと考えていました。そう考えることが自分の人生に責任を取ることだと思っていたんです。

 

自分で選んだのだから現状を受け入れ、解決していく責任が私にはあると考えていたんですよね。

 

そう考えることで「廃墟の白墨」に書いてあった慰めとは反対の、責任や「~すべき」という義務を自分に課してしまっていたような気がします。

 

 

そんなことを考えていると、ふと、二ーバーの祈りを思い出しました。

 

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えて下さい。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

引用:ニーバーの祈り - Wikipedia

 

これを思い出すとき、その変えられないものと変えるべきものを見分けること、そして変え続けていくことって難しいなといつも考えます。

 

私はもともと「~すべき」思考が強めなくせに意志が弱く、何でもかんでも自分を変えるべきだと思ってはできずに挫折して落ち込むというループを繰り返しがちでした。

 

 

でももしかして人生の中で私が変えられること、選択できることは私が考えているよりも少ないのかもしれません。

 

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8年前に出合ったとき・・・確かに愛猫を飼わないという選択肢は私の中にはなかったです。

 

選んでいるつもりでいて、刷り込まれた価値観やそのときの状況・環境に選ばされていて、私には他に選択肢がなかったのかもしれない。

 

私はもっと、私には選べないことだったのだと、良い意味で諦めて受け容れる範囲を増やしてみても良いのかもしれない。

 

なんてこの2冊の本のメッセージから考えたのでした。

 

無責任なのかもしれないけど、自分には他に選択肢がなかった、そうするしかなかったんだ。

 

そう思ったら後悔も自己嫌悪もしても仕方がないと思えて、ちょっと気持ちが楽になれたような気がします。

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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